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大変な世の中です
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 米プロフットボールリーグ、NFL第4週第1日は30日、各地で13試合を行い、昨季のスーパーボウル覇者コルツは38―20でブロンコスを下し、開幕4連勝とした。カウボーイズ、パッカーズも4連勝。

 パッカーズのQBブレット・ファーブがバイキングズ戦で2TDパスを決め、NFL歴代最多記録となる422TDパスとした。プロ17年目のファーブは23日に、ダン・マリーノの持つ420TDパスの記録に並んでいた。(共同)

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asahi.comより引用
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19日、『クローズド・ノート』の試写会が行われ、先生役を演じた竹内結子が、教師を志望する学生たちからの質問に答えた。

 この日、竹内が登壇することを知らなかった学生たちは、つやつやの黒髪をなびかせて登場した竹内に舞い上がり気味。質問しようとして、思わず「竹内先生は…」と口走ってしまい、笑いが起こるなど和やかなムードの中、学生たちとの質疑応答が進んでいた。

 ところが、ある学生の「美しさの秘訣(ひけつ)は?」という質問に対し、竹内が「なるようになったらこうなったというか……」と答えると辺りはザワつき雰囲気が一変。春名慶プロデューサーが「ちょっと嫌み?」と会場に漂う空気を代弁して笑いを誘ったが、なおも「特別何かをしている訳ではないし……」と続けた。

 異様な雰囲気が漂い始めた会場の気配を察した春名プロデューサーが「竹内さんは楽屋でもどこでも笑い声が絶えないですよね。そういう気持ちが表情にも表れて、ふと笑みがこぼれるように自然となるのかな」とフォローするも、「笑えなくなったら終わりかな(笑)。そう思っていると毎日楽しいかも」と、マイペースに意味深なアドバイスを学生たちに送っていた。

『クローズド・ノート』は、引っ越しした女子大生(沢尻エリカ)が、その部屋に以前住んでいた女性教師(竹内)の日記を見つけたことで、運命の恋に気付くラブストーリー。

livedoorニュースから引用

 歌手中村美律子(57)が16日、大阪府岸和田市の名物「岸和田だんじり祭」に参加した。305年の歴史を誇る伝統行事をテーマにした最新曲「だんじり」のヒット記念。ねじり鉢巻きにはっぴ姿で汗を滴らせながら「ソーリャ!」と声を張った中村は「鳥肌が立ったし、沿道の人が『みっちゃん何してはるの?』って何度も声を掛けてくれて幸せやった」と喜んだ。

 過去2回は見物しただけの「だんじり祭」に初めて参加した。新曲の縁で8月に岸和田市の観光大使に任命され、同市大北町などの協力を得て、この日の特別参加が許された。岸和田城近くの宮入りコースを約200メートル走って豪快にだんじりを引き「一気に岸和田の一員になれた気分」と話した。

 興奮の中村は年末への意欲も隠さなかった。04年以来3年ぶりのNHK紅白歌合戦出場について「意識してまんねん。だんじり祭で燃えた体とイメージを持ち込んで年末を締めくくりたい。『だんじり』は(紅白で5回も歌った)『河内おとこ節』を超える歌」と自信を見せた。同市出身のデザイナー、コシノヒロコさんが、だんじりを意識した新衣装を手掛けることも明かした。もちろん年末に着るつもりだ。 

asahi.comより引用

二宮隆雄さん61歳(にのみや・たかお=作家、ヨットレーサー)9日、心筋梗塞(こうそく)のため死去。葬儀は13日午後1時、三重県南伊勢町相賀浦844の桂雲寺。自宅は同町相賀浦840の1。喪主は妻康子(やすこ)さん。

 68年にアメリカ・フロリダでのスナイプ級西半球選手権で日本人初の海外優勝を果たすなど活躍。91年に「疾風伝」で小説現代新人賞を獲得し、「海を奪(と)る」「駆逐艦雪風」など主に海をテーマにした作品を送り出した。


msnニュースより引用

マルコ・ポーロの「東方見聞録」に登場することで知られる「ジパング」。欧州の人々のあこがれを集めた黄金の島は日本だとされてきたが、実はフィリピンだったのでは……。古文書や古地図をもとに、こんな新説が現れた。これまでの常識を覆す説で、専門家の間でも賛否の声が交錯している。

新説はスペイン在住の的場節子さんが8月に出版した著書『ジパングと日本』(吉川弘文館)で唱えている。03年に国学院大に提出した博士論文が下敷きだ。

 中央アジアや中国を旅したマルコ・ポーロは、その経験を1298年にイタリアのジェノバで口述、それが「東方見聞録」とされている。14世紀以降、欧州の様々な言語に翻訳された。

 写本は150点ほど残っているが、「ジパング」という地名は当初、登場しない。的場さんの調べでは、黄金島の表記は様々だったが音はチャンパグやツィパングが目立つ。日本での定番とされる東洋文庫(平凡社)も「チパング」だ。

 「ジパング」という音が史料に登場するのは17世紀初め。ポルトガル人イエズス会士のロドリゲスが「日本教会史」の中で、「日本国」の中国語読みの「Jepuencoe」や「Jiponcoe」が転じてZipanguとなったもので、見聞録の黄金島は日本だと主張。的場さんは、この考えがイエズス会歴史家に継承され、西洋で「ジパング=日本」が定着、日本に輸入されたと分析する。

 ロドリゲスの「黄金島=日本」説の根拠の一つは、見聞録のモンゴル海軍の記事。大船団が暴風で難破したと記されていて、これが元寇を指すというのだ。だが、史実や実情と合わない点も多い。

 的場さんは「モンゴル海軍の遠征はほかにもあり、見聞録は東南アジア遠征の記録では」と指摘する。

 では、見聞録の黄金島とはどこなのか。

 的場さんは、スペインやポルトガル、イタリアの図書館、修道会などを回り、大航海時代の多数の文書や地図を10年がかりで集めて読み解いた。16世紀のものが中心で、シャンパグなどの名前で黄金島はたびたび登場するが、位置的には熱帯になっていた。

 特にスペインが手中にしたフィリピンについては、どこで金が取れるかなどの黄金情報があふれていた。一方日本では金がとれるのかなどの情報は見あたらない。地図を見ると日本はかなり北にあり、島ではなく半島との認識もあったこともわかり、「ジパング」はフィリピンを中心とした多島海地域を指したとの考えに的場さんは至った。

 この的場さんの考えに、五野井隆史・東京大名誉教授(日本キリスト教史)は「日本を間違って描いたのではなく、日本ではない場所を紹介したと考えたほうが理解しやすい」と賛同の姿勢。シャルロッテ・フォン・ヴェアシュア・仏国立高等研究院教授(東アジア史)も「黄金島は本当に日本なの、との疑問は欧州でも以前からあるが、それならどこなのかとの素直な問いに、初めて一つの答えが示された」と評価する。

 一方、杉山正明・京都大教授(モンゴル史)は「見聞録の成立は13世紀末ではなく14世紀後半で、マルコ・ポーロの名で多くの人の経験や物語が盛り込まれた。内容に矛盾があるのはそのため」と考えている。

 的場説には、「確かにジャワ島遠征の記事が混入している可能性があるが、骨格は弘安の役と合致しており、黄金島が日本であるのは間違いない」と反論。フィリピンを黄金島とする地図や文書については「大航海時代、日本では金がとれなくなっており、新たな黄金島が登場した」と見る。

 的場さんは「私の考えではなく、日本で知られていない史料を公開するのが出版の狙い」と話している。

 わき起こった論争は簡単には収まりそうにないが、「常識とされる歴史知識が、いかに検証されないまま使われてきたかを教えてくれる」(五野井さん)ことは専門家の間でも異論はないようだ。 

asahi.comより引用

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