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新説はスペイン在住の的場節子さんが8月に出版した著書『ジパングと日本』(吉川弘文館)で唱えている。03年に国学院大に提出した博士論文が下敷きだ。
中央アジアや中国を旅したマルコ・ポーロは、その経験を1298年にイタリアのジェノバで口述、それが「東方見聞録」とされている。14世紀以降、欧州の様々な言語に翻訳された。
写本は150点ほど残っているが、「ジパング」という地名は当初、登場しない。的場さんの調べでは、黄金島の表記は様々だったが音はチャンパグやツィパングが目立つ。日本での定番とされる東洋文庫(平凡社)も「チパング」だ。
「ジパング」という音が史料に登場するのは17世紀初め。ポルトガル人イエズス会士のロドリゲスが「日本教会史」の中で、「日本国」の中国語読みの「Jepuencoe」や「Jiponcoe」が転じてZipanguとなったもので、見聞録の黄金島は日本だと主張。的場さんは、この考えがイエズス会歴史家に継承され、西洋で「ジパング=日本」が定着、日本に輸入されたと分析する。
ロドリゲスの「黄金島=日本」説の根拠の一つは、見聞録のモンゴル海軍の記事。大船団が暴風で難破したと記されていて、これが元寇を指すというのだ。だが、史実や実情と合わない点も多い。
的場さんは「モンゴル海軍の遠征はほかにもあり、見聞録は東南アジア遠征の記録では」と指摘する。
では、見聞録の黄金島とはどこなのか。
的場さんは、スペインやポルトガル、イタリアの図書館、修道会などを回り、大航海時代の多数の文書や地図を10年がかりで集めて読み解いた。16世紀のものが中心で、シャンパグなどの名前で黄金島はたびたび登場するが、位置的には熱帯になっていた。
特にスペインが手中にしたフィリピンについては、どこで金が取れるかなどの黄金情報があふれていた。一方日本では金がとれるのかなどの情報は見あたらない。地図を見ると日本はかなり北にあり、島ではなく半島との認識もあったこともわかり、「ジパング」はフィリピンを中心とした多島海地域を指したとの考えに的場さんは至った。
この的場さんの考えに、五野井隆史・東京大名誉教授(日本キリスト教史)は「日本を間違って描いたのではなく、日本ではない場所を紹介したと考えたほうが理解しやすい」と賛同の姿勢。シャルロッテ・フォン・ヴェアシュア・仏国立高等研究院教授(東アジア史)も「黄金島は本当に日本なの、との疑問は欧州でも以前からあるが、それならどこなのかとの素直な問いに、初めて一つの答えが示された」と評価する。
一方、杉山正明・京都大教授(モンゴル史)は「見聞録の成立は13世紀末ではなく14世紀後半で、マルコ・ポーロの名で多くの人の経験や物語が盛り込まれた。内容に矛盾があるのはそのため」と考えている。
的場説には、「確かにジャワ島遠征の記事が混入している可能性があるが、骨格は弘安の役と合致しており、黄金島が日本であるのは間違いない」と反論。フィリピンを黄金島とする地図や文書については「大航海時代、日本では金がとれなくなっており、新たな黄金島が登場した」と見る。
的場さんは「私の考えではなく、日本で知られていない史料を公開するのが出版の狙い」と話している。
わき起こった論争は簡単には収まりそうにないが、「常識とされる歴史知識が、いかに検証されないまま使われてきたかを教えてくれる」(五野井さん)ことは専門家の間でも異論はないようだ。
asahi.comより引用